アカデミックな世界で生きる僕は、ビジネスの海に航海に出る。

こんにちは。

お久しぶりです。

最近は、塾のバイトが佳境に入ってきており2月末まで忙しくなりそうですが、仲間の先生とともに頑張っています。

さて、今日は世界を2つに分けるのであれば、シリーズ。

1回目は、アカデミックな世界とビジネスの世界。

学校教育を受けている限り、18歳もしくは22歳まではアカデミックな世界に身を置くことになる。

そして、親からも、塾の先生からも、学校の先生からも

「勉強しなさい」

と言われる。

そして、ふとYoutube を見てみると

「学校の勉強は時代遅れだ」

「これからの学習は自分の好きなことを探求すればいいだけ」

「暗記重視の学習なんて無意味」

「学校で勉強するくらいなら自分で起業したほうがいい」

そう、周りの大人と真逆の言葉ばかりが、「流行って」いる。

この違いはなぜ起こるのか。

そして、本当に今の学習は意味がないのか

僕なりの解釈をお伝えしようと思う。

結論、学校での勉強は、自身の生まれた環境から下剋上可能な整備された道である

それを外すと基本的に親がかつてしていたような仕事につくしかなくなってしまう。

唯一の例外は、誰かを笑顔にする行動を取れること

そして、誰でもできるけど、誰もしないようなことに興味関心があって、その分野のエキスパートになること

この2つが揃うと、例外的に下剋上可能な場合もあるが、それでも全体数が上に上がれるわけでもなく、不確実性も高い。

では、なぜ、人によって必要だ、必要でないという意見が出るのか

これは、ひとえにその人が生きてきた世界が理由である。

アカデミックな世界に身を置く人たち(学校の先生、大学教授)

この人たちは、真面目に学習を22年間続けた結果、教育でご飯を食べているという圧倒的な原体験がある。

学校の先生にとって、飯の種を作ることは自分が学んで、知らないわからない人を、知っていてわかっている状態にできたらお金がもらえると学んでいる。

大学教授の場合は少し特殊だが、本質的には変わらない。

基本的に2パターン。一つは、学問の研究をシンプルに深めてお金をもらっている方法

例えば、学問を学ぶ中から出てきた疑問を、詳細な学問分類の何処かに振り分け、振り分けられた先の運動生理学の中の予測性姿勢制御と反応速度テスト二関連する世の中で行われている研究を調べ、興味のあるテーマを見つける。

そして、そのテーマで研究されている過去論文、引用論文も含めすべて読んだあとに、何がわかっていて、何が試されていないかを明確にする。

→(過去の論文を見て、知見を学ぶことは巨人の方に乗るとも表現される)

そして、未知の内容に問をおいて、その問いを解決する意義と、解決した結果何がもたらされるのか、研究計画とそれにかかる費用を書類に書くと、科研費という研究開発費が文科省から渡される。

そして研究計画に基づいて実験をし、出てきた結果をまとめ、わかったのかわかってないのか、わかったならどんなメカニズムで起きていることが確認できたのかまた、今何が確認できてないのか、はたまた、仮説は間違っていて無関係なことがわかったのか

これを論文にまとめ、アクセプトされると初めて、世界に認知された状態になる。

この論文の引用数(要は他の人が研究の基盤として使った数)が多いほど良い論文とされ、インパクトファクターなんて言葉で表される。

この論文を出す、既知と未知を切り分けて実験を行い、何がわかって何がわからなかったのかをめいかくにするのが、大学教授の仕事。

論文を出すまでは、誰のものでもないが、状態はみんな一緒なのでより早く、論文を出版したほうの知的財産権になる。

その知的財産を生産することを目的に作られている学校が大学。

そして、学部生は教科書、研究するうえで基礎的な知識を

修士性は具体的な研究方法を

博士で実際に研究を行い、論文を出すことで認められる。

だから、やってて嫌ではない、思考をずっと回すことが嫌ではない人(動やったら展開式を楽にできるかずっと考えて新たな計算式、公式を出してしまう人)とかは、この仕事が一番しっくり来るかもしれない。

仕事をしたからと行ってお金がもらえるわけではなく、報酬は国立大学の場合国家公務員にあった給与(20万~60万)の基本給が保証される。

役職につくためには様々な研究履歴と、出してきた論文がどこの大学や研究機関にに採用されるかをさゆうされるため、アカデミックな結果を出して飯を食っていると言える。

2パターン目は、企業からの依頼を受けて行う研究。

この場合、企業の技術的課題解決がメインになるため、少し色が変わる。

例えば、侵食耐用年数10年のコンクリートが1l1万円するんだけど、同じ価格で侵食耐用年数20年のコンクリートを作ってもらえないか

また、コンクリートは溶けて風化して耐震職が行われるが、自己再生するようなコンクリートはないか(微生物を使った研究として行われる)

これくらい具体的な依頼が来て、実際に先行研究を調べ、

実験を行い

結果をまとめ

結果に基づく仮説と一致していた部分塗装でない部分、今後の使い方、作り方についてまとめると、論文となる。

<この場合、査読されけんきゅうざっしにのることもあるが基本的にはそのまま業者さんに帰す、もしくは企業秘密が含まれる場合は公開されない。>

この場合は工業系、情報系によく見られるタイプであり、課題解決の対価として研究費を、知的財産権の生産の対価として大学から給与をもらっているノが大学教授となる。

3パターン目。

どちらにせよ、わからない状態の企業、他の研究者に自分の話kることを伝えるという部分では変わらない。

そして、知的生産を行っている職業であり、

学校の先生と同様、自分が学ぶことが飯の種を作ることにつながっている。

では、学校教育を批判するような人たちはどのような世界に生きている人だろうか。

それは、ビジネスの世界と呼ばれる場所に生きている人間である。

ビジネスの世界とは、他人が求めるもの、事柄を自分が生産する。そしてその対価としてお金を受け取る世界である。

農家さんたちも僕達に野菜を食べたいという欲求があり、それを知っている小売が商社から仕入れ、商社が農協から仕入れる。

だから、農家は農協という野菜を売る相手を持っている人に向かって、野菜を作るという課題解決をしている

また、営業の例で見てみよう。

例えば、未だに現金だけの決済方法しかない小売店があったとしよう。そこには毎日20人のお客が来る。そして、海外のお客様も来るがカードしか持っていないので対応できない。また、カードの額は残ってても財布に少ししかないからあまり商品を変えないお客さんが10人いるとしよう

その、本来計上されるべき売上が計上されない状態になっている困りごとに対して、無料で決済サービスを起きませんか、必要な機器はすべて貸し出します。というメーカーがあったとする。

すると、そのメーカーは多くの小売店に展開したくとも、一社だけの力で日本の何万とある小売にアプローチすることは不可能。

そのためたくさんの、「代理営業店」に外注する

そして、外注先でも手が足りないから更に外注する。

これが、2次受け、3次受けと呼ばれるものである。

そして、りくるーとが宣伝広告費として投げるお金を報酬としていただ、く変わりに、数多くの小売店に展開するビジネスモデルとなる。

そして、リクルートは決済のたびに発生する手数料を

小売店は手数料以上に上がった売上を

もらうびじねすが 、エアペイというビジネスモデルである。

そして、ここにおけるお金をもらう手段は、

・多くの人に

・時間をかけずに

契約を取ることが史上目標になる

また、その過程に学校の教育が関わることは基本的にない(PCの使い方、IPHONEの使い方とか日常生活が飯の種になっている)

だから、学校の勉強なんて意味がないという人が多いのだ。

なぜなら、いま飯の種を作るために、学校の勉強の受容性を感じる機会なんてないのだから

では

最後に今の学習には本当意味がないのかについて書こうと思う。

結論は、意味がある。

なぜなら、ビジネスを作るうえでも農家さんであればどの農薬をどの程度使ったほうがいいかの理由は、大学や高校の生物の知識がないと判別かつきづらい内容であること、

また、エアペイの話しても経営学と金融学をある程度理解していないと、設計ができない。

また、お酒を作ることに関しても、自分の作りたいコンセプトのお酒を作るには生物、発行、高s場管理の知識が必要になってくる。

要は、商業のみを扱う人は学校の勉強が要らなくなってしまうし

生産「作業」のみをする人は学ぶ意義を感じられない

また、学問だけを追求すると、夜転ぶ人は少ないし生涯年収もそこまで高くならない。

結局、一番お金を生み出しているのは、

「設計」を描いている人

エアペイのマーケティングをし経営戦略を立て、PL二責任を持ち実行している人

お酒を自分で海外に学びに行き、作った日課ウイスキーなど

アカデミックな知見を元に、ビジネスの世界で活躍する人が一番天井が高くなっている事実がある。

そしてそんな人たちは、仕事が忙しいから公の場には出てこない。

だから、両極端の意見しか出てこないのだと私は思う。

ここまで1時間。

もう少しまとめながら書きたいものだ


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