なんでもできる人、何でも知ってる人になりたい。

なりたい。だけ聞いていて、なるには。。は聞かなかったな。。

どうして、と聞くと、エアコンの掃除とか、フィルターとか、身の回りのことができるようになりたいと。

内臓とか、人体のことも知れるようになりたいと。

すごく幅広い。どうしてそう考えたんだろう。ここをしっかり聞いてあげるべきやった。忙しさにかまけてしまった。

これに関しては、素直に続きを聞いてみないとわからないなあ。

どうして、?どんなイメージをもっている??

もっと膨らませて上げられたらよかった。

なるにはは、聞いていない。という顔だった。

ここは、あえて答えではなく自分で見つけるのかもしれない。

何なら、先生も知らない答えを見つけてほしいななんて。

そんなことを考えつつ、僕自身が知っている、何でもできる人、なんでも知っている人の定義と具体亭について考えてみようと思う。

なんでもできる人:頼まれたらなんでもそつなくこなせる人。

こんな人と、僕自身は多くあったし、お世話にもなった。

かつて、広島から大阪までお世話になった、奈良で塾講師をしているお兄さん。

そして、自分自身に自信がとにかく人に対して使える人でありたい。と考えて、簿記、宅建、ITパスポートと総なめしていたあのとんでもない女の子。

その2人に共通していることは
・自分にしか見えていない論理的なものが見える
・日本語力が高い。
・抽象と現実の世界を往復している

いろいろあるが、

・国語力が保たれていること

・逆算思考を持っていること(SG,MGK、結果の方程式)

・周りの困りごとを解決し続けているかどうか

・やめないでいるか。

この5つが、根本だと考える。

まず、国語力。これに関しては言わずもがなであろう。どんなツールを使うとしても、たとえた言語を学ぶとしても利用するのは日本語である。日本語の使い方、文法、深部理解までがしっかりできていない限り、内容は深まらないだろう。

なんでもするには、ある程度言語の理解度と語彙力が必要になってくる。

個々の基盤(どんな人とでもしゃべれる能力を身に着ける)は、学校の学習になてくる。

例えば、第g買うせいになって京都に旅行に行ったとしよう。京都には3000体のお地蔵さまが並んでいる三樹さん言動というお寺がある。

その背景と、設立者、宗教の種類等を理解している人とそうでない人では、実際に干渉して感じ取る情報量はけた違いに違うだろう。

ここで、少しでもいいからじぶにょり知識がある人に対して会話できる材料を持っているかどうか。それが、面白い人とのつながりのきっかけになるように感じている。ここがあると、もっと深い話を生きた生の知識とどぃして、2次情報、1じじょようふおかかわらずは明日くすることが可能になってくる。

用は、語彙力、文脈理解、文章理解が肝心ということになる。

逆算思考を持っていること

これは頭蓋の生徒に対しては少しだけ持っていると感じている。いつも先に門d内を解き終わり、回答合わせまでは自分の課題をやっている、僕自身は時間を有効活用してもらう分にはなんも問題ンがないし、言ったことをやってもらえた以上は自由だと考えているため内職は自由である。

そんな中飛ばしてくる質問は往々にして質が高いため、講師泣かせでもあるのだかが、この子がいないとこの記事は書いていない。そう考えると感慨深いものである。

また、逆算を行うことで単位時間新利の質が抜群によくなると考えられる、実際自分自身が125分単位で学習をこなすと、いつもの倍以上の能率になって帰ってくる。

周りの困りごとを解決するような人であるか

これに関しては、楽しませられる側化、他の正ませる側化。伴いようはかぶってくる。要は、他人を笑顔にできたかどうかである。ここでは、道徳的ないいことを城とは一切思わない。

自分自身が学んでkチア内容(数学を生かして最も効率のよりふぇるんとの切り方を逆算するなど)

やめないでいるか

これが、案外一番大事。、やめなければ基本的にどうにかなる。コツはだらだら続けること。一つ竹ルールを浮くって継続させること。

この文章もその一環で書いている。25分間制限の中出かけるだけ書いていく。

結論は、:単位時間当たりの処理能力がどれだけ大きいか。

簡単に言うと、1時間に100問解ける人と1時間に10問解ける人では理解度の差が大幅に出てきてしまう。
演習量も、質も変わってくる。
時間内の質がとてつもなく大きい人が、結果的に何でもできるようになっていくと感じsる。

そう考えると、塾kの課題はそのスキルを高めるうえではとっておきの課題である。

一つの単元を3周し、さらにテスト前には学校教材を徹底的に行う。

こうすることで、処理能力と、一つのもの後を解究める経験両方を届けることができる。このスキルそのものは、どこに行ったって使えるものである。

誰かが言った。人間老いるときは、やれない理由を考え始めたときだt。

いくらでも失敗できる今の時期に、どうやったらやれるかを考えられる子供であり続けられるために、塾の期間を過ごしてもらえたらうれしいと考える。

メモ

経営をする(人を使う側になる)

一次情報をつかみ方を学ぶ(時代によって変化する)

何から始めたか。かつての作業療法を理解しようとして背景から。
多くのことを幅広くよりも、一つのことを20年究めていこう。そのうえで、究めている分誰にも理解されない、マネでき兄何かが生まれている。

それには事実に基づいた問題解決能力が多分に必要になってくる。

また、自分自身が目指すものは何なのか。答えが欲しい人間かそうではないか、

彼女は答えを欲しがっている人間ではないように考える。

回答をすぐに飲み込んでいなかった、。

自分でこだわって書くくらいには、大切なものだったんだろう。

本院にとってのすきが見つかれば、

変な色をできるだけつけずに。

他人あkら言われて亜ことに対して懐疑的であるというのは、とても大切な要素なのであろう。

ある意味気づかれない何かに引っかかっているのか。

本質志向

やりたいことなんて、大前提今から見えるわけないし、見つかってもそれは大したものではない。

本当にやりたいことってのは、実際に体を動かして、感じた感情だけが答えになる。

その感情の通りに生きるための一つの手段が学習である。

例えば

中学生にわかる教養 ドラえもんで理解する教養講座

あなたは、人を使いたい、人に使われたい?(文系か、理系か)

ロジック?実際にかかわりたい?(設計課実行か)


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